有森博さんのラフマニノフ前奏曲24曲の演奏会に行ってきました(東京文化会館小)。24曲を一気に、というのは凡庸な演奏では飽きてしまう恐れがあるところですが、有森さんの演奏は、音楽が今生まれてくるような新鮮な感性を感じさせるもので、一曲一曲のマイクロな世界が結びついて大きな世界が創出されるさまを心行くまで味わいました。
そこで今日はラフマニノフの前奏曲集についてちょっと書いてみようと思います。
世の中には数多くの「前奏曲集」がありますが、その本家本元ともいえるショパンの前奏曲集は調性等の条件から、まとめて演奏するのが本来の姿だと広く認識されています。一方で、ドビュッシーの前奏曲集についてはショパンほどの「一体感」は感じられません。各曲に独立性が高く、タイトルも与えられているくらいですから。でも一方で、それぞれの曲がピアノの独自の技法や楽想を追求しているので、それをまとめて演奏することで、ドビュッシーの音楽観が顕わになるという面もある。なのでこの場合は個別に弾くことも、第一巻・第二巻とそれぞれまとめて演奏することも、どちらも多いです。
では、ラフマニノフの前奏曲集はどうでしょう?これについては全曲を通すことはあまりありません。(CDではまとめて録音されることが多いですが)。全体をまとめて演奏することで何か大きなメッセージを発信しているとは考え難いから、という理由がそこにはあると思われます。どうせラフマニノフばかりではないかと。
しかし、昨日、有森さんの演奏で全曲を通して聴いて、私は24曲を通して聴く深い充実感を味わうことができました。Op.3-2「鐘」の冒頭A-G♯-C♯が全体の導入の役割を担っていて、そのあとはラフマニノフの独自のロマンの世界がいろんな姿に変貌していく姿を堪能できました。考えてみると、前奏曲集の中の何曲かは非常に短かったり曲想の個性をとらえにくかったりして単独に取り上げるには若干都合の悪いのがありますので(特に作品32の何曲か)抜粋だと、Op.23-5のようなホロヴィッツがお得意の華麗な曲ばかりが弾かれる傾向が出てしまいます。それは本当にもったいない。
もう一点感じたことを挙げると、作品32の難解さです。ラフマニノフのピアノ曲というと、ピアノ弾きにとっては、まずは前奏曲があって、その先には「音の絵」そしてさらにピアノソナタ第二番があると考えるのが一般的でしょう。これは作曲された順番にも符合する見方です。しかし実は前奏曲Op.32が最も「難しい」のではないか。これが私の以前からの意見です。この考えは有森さんの演奏を聴いてさらに強くなりました。まだ考えが100%まとまってはいないのですが、Op.32の中にも5番や2番のように比較的曲想をつかみやすい曲もあるものの、多くは作曲者の意図がわかりにくい曲です。中では第1番ハ長調や第6番ヘ短調などは疾風怒濤という感じで、まだわかりやすい面がありますが、第3番ホ長調とか第4番ホ短調のあの入り組んだ感じはは何なのでしょう?どちらもクライマックスがあるものの、それも空虚な感じでさっと終わり、最後は消え入るように曲が閉じる。単に印象を断片的に綴ったのでもなく、かといって何か全体としての構成や方向性が確立しているというわけでもなさそう。それに比べると、そのあとに作曲された「音の絵」のわかりやすさと言ったら・・・。
ともあれ、こんな風に思ったのも、ラフマニノフの前奏曲集を全曲通して演奏する意義を強く感じさせてくれたからです。では、この辺で。
そこで今日はラフマニノフの前奏曲集についてちょっと書いてみようと思います。
世の中には数多くの「前奏曲集」がありますが、その本家本元ともいえるショパンの前奏曲集は調性等の条件から、まとめて演奏するのが本来の姿だと広く認識されています。一方で、ドビュッシーの前奏曲集についてはショパンほどの「一体感」は感じられません。各曲に独立性が高く、タイトルも与えられているくらいですから。でも一方で、それぞれの曲がピアノの独自の技法や楽想を追求しているので、それをまとめて演奏することで、ドビュッシーの音楽観が顕わになるという面もある。なのでこの場合は個別に弾くことも、第一巻・第二巻とそれぞれまとめて演奏することも、どちらも多いです。
では、ラフマニノフの前奏曲集はどうでしょう?これについては全曲を通すことはあまりありません。(CDではまとめて録音されることが多いですが)。全体をまとめて演奏することで何か大きなメッセージを発信しているとは考え難いから、という理由がそこにはあると思われます。どうせラフマニノフばかりではないかと。
しかし、昨日、有森さんの演奏で全曲を通して聴いて、私は24曲を通して聴く深い充実感を味わうことができました。Op.3-2「鐘」の冒頭A-G♯-C♯が全体の導入の役割を担っていて、そのあとはラフマニノフの独自のロマンの世界がいろんな姿に変貌していく姿を堪能できました。考えてみると、前奏曲集の中の何曲かは非常に短かったり曲想の個性をとらえにくかったりして単独に取り上げるには若干都合の悪いのがありますので(特に作品32の何曲か)抜粋だと、Op.23-5のようなホロヴィッツがお得意の華麗な曲ばかりが弾かれる傾向が出てしまいます。それは本当にもったいない。
もう一点感じたことを挙げると、作品32の難解さです。ラフマニノフのピアノ曲というと、ピアノ弾きにとっては、まずは前奏曲があって、その先には「音の絵」そしてさらにピアノソナタ第二番があると考えるのが一般的でしょう。これは作曲された順番にも符合する見方です。しかし実は前奏曲Op.32が最も「難しい」のではないか。これが私の以前からの意見です。この考えは有森さんの演奏を聴いてさらに強くなりました。まだ考えが100%まとまってはいないのですが、Op.32の中にも5番や2番のように比較的曲想をつかみやすい曲もあるものの、多くは作曲者の意図がわかりにくい曲です。中では第1番ハ長調や第6番ヘ短調などは疾風怒濤という感じで、まだわかりやすい面がありますが、第3番ホ長調とか第4番ホ短調のあの入り組んだ感じはは何なのでしょう?どちらもクライマックスがあるものの、それも空虚な感じでさっと終わり、最後は消え入るように曲が閉じる。単に印象を断片的に綴ったのでもなく、かといって何か全体としての構成や方向性が確立しているというわけでもなさそう。それに比べると、そのあとに作曲された「音の絵」のわかりやすさと言ったら・・・。
ともあれ、こんな風に思ったのも、ラフマニノフの前奏曲集を全曲通して演奏する意義を強く感じさせてくれたからです。では、この辺で。