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「二人のセルゲイ」を聴いて

5/3/2014

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有森博さんの素晴らしいリサイタルを聴いてきましたので、少し日がたってしまいましたが、こちらに感想を書いておきます。(4月19日東京文化小)

プロコフィエフとラフマニノフという「二人のセルゲイ」の作品を鏡のように対称的に配置したプログラムでした。最後の曲(プロコフィエフの戦争ソナタ)を除くと、普段はなかなか演奏されない曲ばかり。その選曲と配置に、奏者の並々ならぬこだわりと、聴衆におもねらない矜持を感じたのは私だけではないでしょう。音楽的には対照的に見られることの多い二人ですが、こうやってまとめて演奏を聴くことで、二十世紀前半に花開いたロシア・ピアニズムのもつ大きな流れと奥深さを感じられることとなりました。

冒頭はプロコフィエフの「思考」。プロコフィエフのピアノ独奏曲というと9曲のソナタばかりが脚光をあびる傾向にありますが、彼の数多い小品にも魅力的な曲が色々あります。中でもこの「思考(パンセ)」は、暗くてとっつきにくい面があるものの、虚飾を排した曲想の中に作曲家の心情が吐露された傑作です。次いで演奏されたのは十の小品より第五番ハ長調。あたかも風が過ぎ去るような不思議な魅力を持った作品で、十曲からなるこの作品集の中で最も印象に残る曲といえるでしょう。有森さんはこれらのプロコフィエフの小品の持つ、繊細で深い情感を余すことなく表現していました。どこから見ても立派な演奏。

そして前半のメーンはラフマニノフの「ショパンの前奏曲ハ短調の主題による変奏曲」。この曲はラフマニノフのピアノのための大きな作品の中で、おそらく(ピアノ・ソナタ第一番と並んで)最も演奏される機会が少ない曲と言って良いでしょう。その理由としては、あまりにも音符が多くて複雑、演奏が技術的に非常に困難、30分になんなんとする長さ・・・等々が考えられます。曲の後半にこれでもかという風に技巧的で壮麗な変奏曲が続いたあとフィナーレでドゥア(長調)の勝利の行進となって、最後はお決まりの華麗なカデンツァで締めくくられる、という構成。不肖私の若いころには「ショパンの『もうひとつの葬送音楽』を冒涜した」などという風に思ったりしたこともありました。しかし今は、二十代後半だった作曲者の若さがほとばしった過剰ともいえる音のドラマが、魅力だと感じるようになりました。

この曲は、例えばブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲」のように数多い変奏曲が組み合わさって大きな構築物を成しているのとは異なり、同じ原型から生まれた様々な曲想が万華鏡のように変化していくのを楽しむべき曲だと思います。有森さんは多彩で自由自在かつ生き生きとした表現により、この曲の魅力を存分に引き出していました。もちろん、そこには息をのむような技巧の冴えと様々な音色の変化があるからこそですが。

後半はまずラフマニノフ初期の作品3の小品集から、有名な前奏曲を除いたうちの三曲。聴き手にも集中力を強いる重い曲が並ぶプログラムの中にあって一息つくひと時でした。甘いロマンティックな音楽に酔いました。

プログラム最後はプロコフィエフの戦争ソナタ(ソナタ第七番)。この曲ではピアノを打楽器的に扱った両端楽章ばかりが注目される傾向にありますが、実は第二楽章が様々な表情と内容を持った物語であり、有森さんはそれを十全に味わせてくれました。もちろん、「戦争」の名にふさわしい第一、第三楽章のパワフルな表現は有森さんの自家薬籠中のもの。

しかし、この日の最大のドラマは、実はこの後のアンコールにあったのでした。拍手の後に有森さんが「コレルリの主題による変奏曲」(ラフマニノフ)の主題を弾き始めたとき「抜粋して演奏するのかな」などと想像していました。しかし、主題、第一変奏、第二変奏・・・と順番に演奏されていくうちに「どうやらこれは全曲を演奏するのだ」ということがわかり驚愕。難曲揃いのプログラムのあとに、20分近くかかる曲、それも世に知れた難曲を全て弾き通す、というのは何たることか。

しかし、これがなんともスリリングな演奏であったのです。この曲は古くから伝わる素朴なメロディー(ラ・フォリア)を主題にした変奏曲ですが、ラフマニノフ晩年の曲であるだけに、そこには一筋縄ではいかない割り切れなさがあります。和音は複雑ですし、耳に心地よい音型が並んでいるわけではない。速くて技術的に困難な箇所が散りばめられている一方、単純に演奏効果を志向するのではなく、ゆったりとした内面的な曲想の時間が圧倒的に長くなっています。間奏曲と後の穏やかなドゥアの部分で大きな場面展開があったり、最後に寂しい感じで終ったり、等々、全体として「ショパンの主題による変奏曲」とはかなり異なる雰囲気を持っています。

有森さんはゆったりした曲を繊細なタッチと歌心で滋味深く弾いていくことで、まず聴衆の心をがっちり惹きつけました。しかし、アンコール・ピースとしては、やはりF1並みのスピード感で弾ききった速い変奏曲が圧巻でした。特に第十八、十九、二十変奏がそのクライマックスでした。

コレルリ(正確にはラ・フォリア)の主題はゆったりした四分の三拍子ですが、この三つの変奏では九分の八拍子と記されています。演奏が非常に困難なため、一拍を三拍に読み替えているのです。そのためもともと三拍子のシチリアーノ(符点三連符)であったリズムが、三分割されて、三つずつのシチリアーノに変化しています。しかし、有森さんは、ちょっと類のない推進力と高揚感(と、もちろんそれを支える並外れたテクニック)によって、これらの変奏を主題と同じ「大きな三拍子」としてとらえていました。例えば第十九変奏の後半は、十六分音符の忙しい動きに気を取られがちですが、実は拍の頭のレ・ド・シ♭・ラ・ソ・ファ・・・が大きな流れを作っています。これを前面に出すことで、曲の大きな流れが見えてきます。

この演奏を聴くと否が応でも思い起こすのがアルゲリッチの演奏です。実際、目にも(耳にも?)鮮やかなテクニック、抜群のリズム感、聴き手の心をつかみとるエンタテイナーとしての資質・・・等々、両者には多くの共通点があると思います。盤石の安定感や鋼鉄のようなフィンガー・テクニックという点ではアルゲリッチが勝るかもしれませんが、有森さんの演奏には心の襞を伝えるような繊細さや色合いがあると思います。これをラテン(アルゲリッチ)に対する日本的なもの、と言ってしまってはあまりに単純かもしれませんが、でもこの気持ちは日本人の方なら理解していただけるのではないか、と期待するところです。

古代の舞曲をロシア人のラフマニノフが再構築したものを、日本人である有森さんが表現する。それによって見えてくるものが色々ある、ということだと思います。その夜は大いなる充実感をもって帰途についたこと、言うまでもありません。



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